10年前に書いた4コマ漫画が無自覚のうちにADHDっぽい
10年前くらいにもブログを書いていた時期がありました。十数回くらい更新して、そのまま止めちゃったんですが。
その時は創作4コマを書いてアップしてました。その中の1本がこれです。
久々に読み返してみたら、ADHDが忘れっぽいってこと書いてるのかしら、みたいな内容でした。
このころは当然まだADHDとは診断されてないですけど、忘れっぽいことに関しては結構悩んでたような…ということは、この忘れん棒は自分のことを描いていたんだと思います。
「悩んでた」ってまるで過去の事のようにいってますが、忘れっぽいことに関しては10代から現在まで常々尽きない悩みです。
何か忘れ物をしちゃう失敗は掘り起こせばキリがないし、良いことや悪いことの記憶もぽろぽろ抜け落ちるもんだから、常に何かを取り残している気がするし、時々自分自身が社会から取り残されてるような気になります。
忘れ物が原因の失敗がかなり続いてた時がありました。そういう時は、自分でももちろん落ち込むし、周りからも怒られたり呆れられたりすることが続いて、気持ちが追い詰められていって余計にどんどん失敗が増えてしまう悪循環をくりかえしてて相当辛かったです。
ああ、これが世にいう「負のスパイラル」ってやつかと、そこから抜け出せたときにようやく気付きました。
追い詰められすぎてる時って、何やってもうまくいかなくなるんですよねえ。
ただ忘れっぽいことが良いことだなあ、と思える部分もあって、そうやって嫌なことがあっても結構すっぱり忘れらます。(そして忘れちゃったもんだから同じ失敗を繰り返したり、時々突然記憶がフラッシュバックして悶絶したりもするんですけど…)
そういう部分のおかげもあって、相当不器用な人間なのにこれまでなんとかやってこれてるように思います。
靴なんて逆に履いても行きたい所にはちゃんと行ける
小学生くらいまでだったと思うけど、しょっちゅう逆に履いてて、よく親とか先生とかに怒られてました。
怒られたら、履きなおすことができる。その言葉で自分が逆に履いていたことを理解できるから入れ替えればいい。
だけどまた靴を脱いだら、どっちがどっちが分からなくなるのです。私の目の中には、右の靴も左の靴もおんなじ形に見えてるから。
だからみんなが正しい靴の形がわかるのが不思議でしかたなかったし、わからない自分と世界の違いが怖いと、少しだけだけど感じてた気がします。
なぜかあの頃は逆に履いても「きつい」とか「歩きづらい」とか違和感を全く感じませんでした。
でもかかとは踏んづけてよく歩いていた記憶もあるから、多少なりとも違和感があったんじゃないかとも思います。
今では見た目の違いも分かるし、もし真っ暗闇で靴を履いたとして、それがどっちも右側だったとしても、それにちゃんと気づけると思います。
あんなにわからなかったのに、なんで自然とわかるようになったんだろう。
やっぱり靴は正しく履けたほういいです。歩きやすいし、かかとも踏まないから長持ちするし。
「あたりまえじゃん」と言われそうだけど、私にはどうも人の当たり前が理解できていないところが結構あるようで。
靴はなぜかいつのまやら分かるようになったけど、まだわからないまま、気づかないままになってるところも多いと思うのですが、なかなか解決がむずかしい。
まいったなー。
マンガじゃないんだから
昔から運動全般が苦手で、今も「好きな運動は?」と聞かれたら「散歩です!」と言うくらいですが、中学の時は親が文化部入部は許してくれなかったので、運動量の少なそうな卓球部を選んで入りました。
…が、予想に反して、気合入りまくりの地方大会もガンガン勝ち進んでいくようなばっりばりのスポ根運動部だったのです…。
部員は同学年だけで20人くらいいて、私はいっつもその中の補欠部員で、たまに他校との試合に出られることがあっても初戦負けがほとんどだったと思います。
そんな中、ある1日だけ奇跡のように突然卓球が上手くなるという事が起りました。
今思うに上手くなったのではなくて、あの時は何かがきっかけで「過集中」(何かに集中しすぎちゃうADHDの症状)の状態になっていて、ボールを目で追う能力が一時的に異常に上がったせじゃないかと考えてます。
あれくらい上手くいったのは、その日だけだったと思います。あとは下手なまんまで嫌でしょうがなかったけど、どうにかこうにか3年続けました。大人になった今現在ろくに運動しない上に不規則な生活を続けていても、基本的には健康的に暮らせてるのは卓球してたからかなと思います。
ポケットに何か入れたら、たいがい忘れます
今日大変良い天気だったので、張り切って朝から洗濯機回したら、すべての洗濯物がティッシュの小さな屑だらけで仕上がってきました。
ポケットに何か入れるとほぼほぼ忘れて洗濯機に入れちゃうので、そもそもなるべくポケットに物を入れないようにしてるつもりなんですけど、いつのまにか入ってるんですよね…ティッシュ。
同じくポケットに入れたままのメモとかアメとかガムとかも結構よく一緒に洗います。それ以外にもipodとかクレジットカードを洗ったこともありました(ipodは壊滅しましたが、クレジットカードは無事に使えました)忘れてるだけで、ほかにもいろいろ洗ってるはず…。
話を戻すと、ティッシュはぐずぐずに崩れてありとあらゆるものに絡みついて、群を抜いて厄介で、これをやってしまった度に軽い絶望感で体の力が抜けてしまいます。
とはいえ、そのままにしておくわけにもいかないので、乾かしてからもう一度洗濯機にかけるという二度手間手法か時間がないときは乾かしてからコロコロ(粘着テープのやつ)で取り除いてますが、もっと簡単に取り除く方法がないものか…私が洗濯する前ポケット確認すりゃいいだけの話なんですけどね、忘れちゃうんだよなあ。
ADHDという言葉を初めて知った日
この時の事が、このブログのタイトルの由来になってます。
その時に聞いた症状は、確かに私にあてはまるものばかりだったと思います。
気になってADHDについて、ちょっと調べたりはしたのですが、当時わかったことは、参考になるような本なんて全然出てないし、専門医はほとんどいなくて、治療法はカウンセリングが主で、薬はないということでした。
(もしかしたら子供への投薬は認可されたものがあったかもしれませんが、成人に対しては認められていませんでした。)
それで私が思ったのは「専門医を探すだけでも大変そうだし、そもそもカウンセリングの治療って効果があるの?この『症状』って言われてるものって性格とか育ちによるもんじゃないの?もし診療を受けれるようなところが見つかってもお金が結構かかるんじゃないの?それで診断がもしADHDじゃなかったら、ただのお金の無駄でしょ。」ということと、「そのよくわからない病気みたいな『ADHD』だと診断されて、もし治療が上手くいかなかったら世間的にどう思われるかわからない、怖い」ということでした。
また当時は、精神的な病気に対しても理解が全然足りなかったので、そういう病院に行くこと自体に相当抵抗がありました。
そういうわけで、私は全面否定し絶対に認めませんでした。
その後、社会人として世の中に接するようになってから、社会と自分とのずれを感じることが結構あり、いろいろ困った状況や自分の望んでいない結果になったりする場面に直面することが増えていきました。
そして十数年がたった頃、ある時におおきな失敗をして「なんで自分はこうなんだ。その場かぎりではどうにかごまかせたとしても、この先の人生を自立して生きていくことが難しくなってしまうかもしれない…」と相当悩んでいた私は、あの時に言われた「ADHDなんじゃないか」と言われたことを思い出したのです。
2年前にはもうADHDについての情報がかなり増えていて、治療も進んで診療できる病院が増えていることがわかり、遂に病院を訪れ診断される結果に至りました。
「もしも十数年前のあの時に素直に聞いて、治療を受けていたら、もっと全然違った生き方になってたかもしれないなあ…」という気持ちにもなりますが、そっちを選ばなかったおかげで経験できたり感じられたことがたくさんあったなあ、と思えるところもあるので、これはこれでわるくない生き方できてるかなーという気がしてます。
現実が見えてしまった‼
ADHDの診断を受けて以降、専用の薬を飲む治療を続けてます。
薬の効き方って個人差はあるとは思うんですが、私の場合は良い方向に効いている気がしてます。
効果を感じてる部分はいろいろあって、その中でも一番変化を感じたのは今までぼんやりとしか見てなかったものが、はっきりと見えるようになったことでした。
それまで、はっきり見えなかったのは視力が弱いからということではもちろんなく、視界にばっちり入ってても脳が認識できていなかったからみたいです。
常時そんな調子なので部屋が散らかってても、見えてないので不快に感じることがあまりなく、それが片付けられない理由のひとつなのかもと思います。
それが、薬を飲むようになってからは、出しっぱなしにしていた物に気がつくようになり、以前に比べるとだいぶ片づけられるようになりました。
そして、ほかにも気付いてしまったことがあります。
見えてなかったのは散らかった場所だけではなく「自分の顔」もだったと…!
私は若い頃から、日常的に化粧をするという習慣がありませんでした。
20代の頃から時折「童顔」とか「肌がきれい」と言われることがあったので、自分は若く見えるので化粧をしなくても大丈夫という過信がありました。それに加えて化粧道具が複雑すぎてどこから手を付けていいか分かってなくて「化粧しなくても困ってないからいいや」とそのまま放置し、年をとってしまったのです。
まともに化粧したのは就職面接の時と冠婚葬祭くらいで、仕事だろうとデートだろうと、一年ほど前までは、ずっとほぼ365日すっぴんでした。
ある日のことでした。
部屋の片づけが以前よりもスムーズにできるようになってきた頃、汚れてきた姿見を拭きながら、そこに映る自分の顔を見て愕然としました。
目の下はクマがばっちり刻まれてるし、肌もくすんでいてシミもいっぱいあって顔色悪いし、顔もたるんできてて、ほうれい線が…。
「若くない!若さがないよ!おばちゃんじゃん!そりゃそうだ‼ 3×才はおばちゃんだ!やばい!もうこのまま放置したら犯罪だわ!」
と思った私は、今更ながら慌てて化粧品一式揃え、ネットで化粧の仕方を付け焼刃に覚えたのでした。これにより以降、最低限の化粧を毎日するようになりました。
この話は、急に老けてそれに気づいたというということではもちろんなく、自分の顔がそれまでちゃんと見えてなかったので、着々と進んでいた劣化に全く気付けてなかったのです…。
20代のうちならともかく、外で働いてるのに30いくつにもなって全然化粧しないっていないもんな…普通…。