おまえってADHDじゃない?

おまえってADHDじゃない?

発達障害【大人のADHD,注意欠陥多動性障害】持ちのほやすんたです。 診断前のエピソードや現在の日々のことなどを4コマ漫画やイラストで書いてるブログです。 Twitterアカウント→@hoyasunta

文明の利器ばんざい!

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最近、スマホによって自分の生活力が上げられているなあと、しみじみ思います。

忘れん坊のエキスパートとしては、特にiPhoneのリマインダー機能は今や日々欠かせない存在になっています。
個々に項目を自由に入力して、指定の曜日や日時にアラームが設定できるので、毎日飲む薬の時間、宅配便の到着日、ゴミの日、月1の家賃支払日、半年に1回の使い捨てコンタクトレンズ受取日などなど色々な予定を入力しています。
こうして設定したアラームのおかげで今までついつい忘れがちだったことを思い出せるようになりました。
他にも習慣づけたい事とか目標のようなこととかも毎日決まった日時にお知らせするようにしています。こうしておくと自己暗示で身に付きやすくなる気がします、こういったことは本当にすぐ忘れてしまうので…。

また別のアプリでは、メモ代わりにカメラ機能をよく使用しています。
自分で書いたノートやメモのほか、印刷物などの情報として必要な部分だけ撮影して持ち歩いています。手帳を持ち歩いていた時もありましたが、荷物は軽くしたいし、手帳自体を忘れることもあるので止めました。そのまま写せるものはそうした方が書き間違えがないから安心です。

それとやっぱり地図アプリも欠かせません。方向音痴ですぐ道を間違えたりするので、今まで数えきれないくらい助けられています。

あらためて、自分が主に活用しているアプリを見直してみると、標準搭載されているアプリがほとんどです。ダウンロードしたアプリも結構使ってみるんですけど、いつのまにやら使わなくなってしまいます。(そして、そうしたアプリはそのまま放置され、私のスマホのホーム画面には荒廃したアプリ墓場が広がっています…)

ガラケーからスマホに切り替えたのは7年も前ですが、自分がADHDだとわかってからの方が、意識的にスマホの活用方法を考えるようになりました。
そうなってからの方が確実に生きやすくなったなー、と実感しています。
便利なものにあまり頼りすぎるのは良くないという考えもあるかもしれないけど、大人になっちゃったら時間と体力には限りがあるんだし、使えるものはとことん使っていった方が良いと思っています。

共感求めすぎてこわいよ

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前回のブログで犬好きの事を書いていて思い出したのですが、高校生の時にこんなことがありました。
親の答えはどう考えてもまともで、私が言ってることがおかしい。
この時に大号泣して、親に相当怒られました。そりゃそうだ。
そもそも質問が幼稚すぎて、親も困惑して説教もしたくなるのもわかります。

あの頃は、母親に対して依存が強くて、自分の好意のある人には自分と同じように好きなものを好きでいてほしい、共感したいという気持ちだったんだと思います。
この親に依存する気持ちは高校を卒業して実家から数百キロ離れたところで生活するようになって、なくなりました。
ただ、親離れはできたものの、他の人と気持ちを共感したいという気持ちは、大人になっても人より強い気がします。
人に自分の気持ちがうまく伝えられないとか、人間関係を繋いでいくことができないとかいう気持ちが常々根底にあるからだと思うのですが、相手との感覚の違いが原因で感情的になってしまうことがよくあります(最近は感情のコントロールが大分できるようになってきたので、少なくはなりましたが)。
結局の所、共感を求めすぎる自分は自己中心的なんだなと思います。
「人は人、自分は自分」というふうに自然に思えるようになりたい、がんばろ。 

犬が好き過ぎて記憶力が犬みたいでほんのちょっとだけ嬉しい

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犬が好きで好きでたまりません。今は飼えないので、代わりに犬の画像や習性などを検索しては、ニヤニヤしたり、「ほほう、ああいう時は犬はこんなことを思っているのね」などと犬への思いを馳せる日々を過ごしています。

ところで、犬の記憶力というのはとても短いものらしく、何か行動した10秒後くらいには、そのことをすっかり忘れちゃうらしいです。
だからボール投げなどをしていると、何回投げても毎回新鮮な気持ちで、めちゃくちゃ嬉しそうにボールを持ってくるんですね。
犬を飼っていた頃に、ボール投げをする度によくこんなハイテンションを維持し続けられるな…と思ったものです。

行動による記憶は短い一方で、感覚的な記憶(うれしかったことや嫌な気持ちになったなど)は、その時の環境や物などと関連付けながら覚えられるので、散歩用のリードを飼い主が持ってきたのを見ただけで狂喜乱舞したり、散歩していると突然立ち止まり、「こっちの道にはいきたくない」とばかりに全力でボイコットしだしたりします。

こんな犬の記憶力の話を聞いたときに、記憶の具合が自分に似ているな、と思いました。
私も行動したことはすぐに忘れてしまう一方で、感覚的に覚えていることが多く、どこかに行っても記憶はぼんやりとしていて、楽しかったり、嫌だったりした感覚で覚えています。また映画を観たりや小説を読んだ後、詳細はすぐに忘れてしまうんですが、行動の記憶と同じように楽しかった、怖かった、つまらなかったということだけが残っています。
ADHDは動物的感覚に優れているという話を聞いたことがありますが、もしかしたら、この記憶力の部分も動物的なのかもしれないですね。

ADHDの薬を飲んだら「頭の中」が整った

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薬を飲むようになって結構経ちましたが、飲む前に比べて「よくなってきたなあ、変わったなあ」と思うことは色々あります。
その中でも、私の場合、飲み始めた最初の頃の方に感じた変化がこれでした。
それまでは何事に置いても今まで自分が経験してきたことや知識などを活かして考えたり、経験した出来事を順を追って思い出したりすることがとても苦手でした。
よく言われるADHDの症状で部屋を片付けられないということがありますが、私の頭の中はそれと同じように散らかりまくっているようなイメージでした。
そんな状態から、必要な記憶を取り出して、さらに組み立てて考えたりするのは、大変な作業で、考えてるうちに他に気がそれてしまったり、疲れて寝てしまったりして、物事を深く考えることがなかなかできないのが日常でした。

投薬治療前は、考え事をしている時の頭の中を例えて言うなら『ひとつの箱の中に、いろいろな「記憶」が一緒くたになって、どこに何があるのか見当がつかないような状態』だったのが、薬を飲みはじめてからは『時系列でひとつの線でつながっている状態』に変わりました。
最初その変化に気づいたときは「劇的に頭がすっきりした!」というような感じではなくて、霧でかすみがかった風景がだんだんと見えてくるようでした。
実はそれまでは自分の思考のぐちゃぐちゃ具合を普通に受け止めていて、特におかしいとも思ってなかったのですが、自分の思考が変わったことでようやくその事に気づくことができたのです。

そして現在もその状態は維持できていて、前に比べたら考える事がかなり楽にできるようになりました。
ただ課題もまだまだあって、考えることはできても、その考えを更に幅を広げて応用したり、人に考えを言葉で説明したり、文章として形にしたり、さらに0の状態から発想したりすることはすごく苦手で、全然うまくできません。これは経験不足による部分が大きいと思っていて、なんとかできるようになりたいです。
それで少しでも練習になればと思ったのが、このブログを始めた理由のひとつです。
今のところは、文章がまとまってないこともしょっちゅうだし、ひとつの記事書くのに時間かかりすぎだし、まだまだというところですが、前はそもそも自分の言葉で長めの文章を構成するのが辛くて仕方なかったけど、少しマシになった気がします。
時間をかけて慣れていくことは苦手だけど、そこも含めて良くなりたいな、と思ってます。

寝つきが良いのが自慢です

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子供のころから兎にも角にも寝つきが良いです。
布団入って5分後には意識がなくなってる気がします。
でも寝つきが早すぎるのってあまり良いことじゃないらしいですね、気絶しているのと大して変わらないとか。
だとしたら私の今までの人生ほぼ毎日気絶してることになります。

そのせいか、たくさん寝てるのになかなか疲れがとれなかったり、日中もよく眠くなります。年がら年中眠いわけじゃないし、起きている時に意識はだいたいしゃっきりしてる方だと思うのですが、座ってる時、突然寝ちゃうことがあります。
どういう時に起こるかというと、スマホやテレビをなんとなく見てる時とか、逆に何かをすごく悩んで考えてる時とかに起こりやすいです。少し意識があやふやになってきて「なんかまぶた重いな…」と思った次の瞬間には意識が落ちてます。
手足のどこかや手先を少しでも動かしていたり、立っていたりすれば大丈夫らしく、体をまったく動かしていない状態で座ってるときが危ないみたいです。
なんでかははっきり理由はわからないのですが、ADHDの人が何かしら睡眠で問題があることが多いらしく、それと関係してるのかもしれません。
(子供の頃はもっと酷くて、授業中に先生に指名されて、起立して回答を考えている間に寝ちゃうことがよくあったのですが、それは幸い大人になってからは起きていません)
当然、家などで少し体を横にして休もうものなら、すぐにそのまま熟睡しちゃうので、今の時期は畳の上でついついそのまま朝を迎えがちです…。

家でのことはともかく、日中の眠気は困ってしまうので、昼寝を15分くらい取ったり、全く体を動かさない状態を作らないように意識したり、眠くならないツボを刺激するようにしたりと色々試して、多少は効果があったりするものの、なかなか改善が難しく日々試行錯誤中です。

寝るのは好きです。

うつ病だった時にやったこと

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十年ほど前、結構大きく生活環境が変わったことがあって、心身ともに追い付かずストンと深い穴に落ちるような感じでウツ病にかかってた時がありました。

最初の頃は四六時中涙が止まらなくて常時体力消耗してるし、死にたい死にたいこの世界からいなくなりたいとかでずっと頭がいっぱいだし、時間感覚がめちゃくちゃになっちゃうしで、とにかく毎日しんどかった。
それまではそういう状態を経験したことがなくて「自分はメンタル的な病気にはかからない」と思ってたくらいでした。だけど実際になってみて「誰でもこういう状態になることってあるんだな」と思いつつ、自分自身が別の何かに吸い取られていくような気持でした。

「自分だけではどうにもできない」と思うようになって精神科に通院をはじめ、若干落ち着いてきた頃、嬉しいとか怒りとか恐怖とかの感情に、とても鈍感になってることに気付きました。
うつ病になる前は映画を見るのが好きだったのに、新作旧作何を観ても、ただ流れてる映像を眺めてるだけのような感じで、かすかにストーリーは頭に入ってくるもののなんの感情も湧かなくなっていたのです。
そういう日々が続いていた時に、ふと何年か前に読んだ本のことを思い出しました。
その本は、1話数ページの話を百話まとめた怪談集で、最初に読んだ時は1話1話に惹き込まれて、もともと怖がりなのにあっという間に第1巻を読み切りました。
1巻は勢いで読み切ったものの、第2巻以降は読みたいのに怖くて読むのを結局諦めたのです…(1巻も読んだ後、家に置いておくのが嫌で人にあげてしまったくらい怖がりでした)。
それが「今の私なら読めるかもしれない。どうせほかに何かをしたいという欲求もないのだし」と思いつき、元々読んでいた1巻目を含む全10冊をまとめ買いしたのです。

読んでみると、あら不思議。
前に読んだ時は二度と読み返せないくらい怖かったはずなのに何も感じずに、するすると読めます。
とはいえ、実際のところは、読むというよりも文字面を追っているだけに近い感じだった気がします。
ただ、単調に文字を追っていく作業は意外と心が落ち着くようなところもあって、どれだけ時間を要したかは定かじゃないですが、全10巻を読み切ることができました。
これで感情が戻ったとかはなかったけど、少なからずどこかに良い影響はあったように思います。
それに長年果たせずにいた「あの本」を読み切るということができたことが今思うと感慨深い…。
ちなみに読み終わった全10冊はどうしたかというと心の状態がだんだん持ち直してきた頃には、また怖くなってきて速攻で手放し てしまいました。

毎年この時期になると思い出しては、かすかにしか記憶に無いから、また読みたいとい思うもののやっぱり怖くて買えないんですよねえ…

やっと帰ってきたのに!入れないよ!

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残業で終電ぎりぎりに家に帰ってきて、「くたくただー」と呟きながら、玄関のドアを開けようとした時に、「あれ?鍵がない」ってことがたまにあります。
たいがいは鞄の中をひっかきまわして探していれば、そのうち出てくるのですが、なかには本当に職場に置いてきてしまって家に入れなかったことがあります…。
ひとり暮らしなので、ドアを開けられるのは自分だけ。時間も時間なので、取りに帰るわけにもいかない…さて、こんな時はどうするかというと、今住んでいるところは幸いなことに近くにインターネットカフェがあるので、そこへ行きます。
目の前に自宅はあるけど、フラットシートで就寝です。そして翌日は、これまた幸いなことに24時間営業の衣料品店があるので、着替えを購入し、何食わぬ顔で出勤。
家の目の前でいくら無駄な浪費をしてるんだ…ってちょっと落ち込みますが、良くも悪くも気持ちの切り替えが早いので、「おかげでインターネットカフェで前から読もう読もうと思ってた漫画読めたし、面白かったー。それにちょうど新しい服も必要だったし、結果的には問題ないや、ほかに考えなきゃいけないことはいっぱいあるしなー」とわりと楽観的に思ってる時が多いです。