靴なんて逆に履いても行きたい所にはちゃんと行ける
小学生くらいまでだったと思うけど、しょっちゅう逆に履いてて、よく親とか先生とかに怒られてました。
怒られたら、履きなおすことができる。その言葉で自分が逆に履いていたことを理解できるから入れ替えればいい。
だけどまた靴を脱いだら、どっちがどっちが分からなくなるのです。私の目の中には、右の靴も左の靴もおんなじ形に見えてるから。
だからみんなが正しい靴の形がわかるのが不思議でしかたなかったし、わからない自分と世界の違いが怖いと、少しだけだけど感じてた気がします。
なぜかあの頃は逆に履いても「きつい」とか「歩きづらい」とか違和感を全く感じませんでした。
でもかかとは踏んづけてよく歩いていた記憶もあるから、多少なりとも違和感があったんじゃないかとも思います。
今では見た目の違いも分かるし、もし真っ暗闇で靴を履いたとして、それがどっちも右側だったとしても、それにちゃんと気づけると思います。
あんなにわからなかったのに、なんで自然とわかるようになったんだろう。
やっぱり靴は正しく履けたほういいです。歩きやすいし、かかとも踏まないから長持ちするし。
「あたりまえじゃん」と言われそうだけど、私にはどうも人の当たり前が理解できていないところが結構あるようで。
靴はなぜかいつのまやら分かるようになったけど、まだわからないまま、気づかないままになってるところも多いと思うのですが、なかなか解決がむずかしい。
まいったなー。