おまえってADHDじゃない?

おまえってADHDじゃない?

発達障害【大人のADHD,注意欠陥多動性障害】持ちのほやすんたです。 診断前のエピソードや現在の日々のことなどを4コマ漫画やイラストで書いてるブログです。 Twitterアカウント→@hoyasunta

知らず知らずのうちに相手を追い詰める戦法

 

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悪気はないんですよ、本当に。わざとやっているわけではないんです。
歩いていると、なんでかどういうわけか自分の思っている道筋とは微妙にだんだんとずれた方向へ進んでいってしまいます。
だから人と横並びに歩いている時などは、いつのまにやら道の片側へ一緒に歩いている人をずいずいと押し出していることがあって、時々それを指摘されては「あー、またやってたかー!ごめんなさいーー‼」って平謝りすることになります。
初めて人から、自分がそんな風に歩いていることを教えてもらった頃は「人と並んで歩いていると、人がいる方へ寄って行っちゃうのかな?」と思っていたのですが、ひとりで歩いている場合でも、すれ違いざまに人にちょっとぶつかってしまうことがちょいちょいあるので、そういうわけじゃなさそうです。
自分では、まっすぐに歩いているつもりなんですが…不思議といつのまにやらずれてしまっているようで…。
決して「気付かれないように道路へ突き飛ばしてやろう」とか企んでいるわけではないんですよ。逆に一緒に歩いている相手が好きすぎて近寄っていくわけでもないんですよ。

改めて、このことを書き起こして考えてみると、歩いている方向がずれていったら、自分の前方の視界が変わるからわかるように思うんですけど、実際歩いてる時はまったく気づけません…。なぜだ…。と、思ってちょっと調べてみると、ADHDの幼少期の症状でバランス感覚や運動能力に問題がある場合があるようなので、そのあたりが影響しているのかも、と思います。

歩き方にも癖があるようで、靴のかかとの一部分の擦り減り方が異常に早いので、靴の寿命が早いのも困りものです。
特にパンプスのかかとがヤバいです。
あんな小さなかかとは、すぐに潰れてしまって履けなくなってしまうので、しゅっしゅっときれいに歩いてる女性を見ると羨望のまなざしで見てしまいます。
だから普段はもっぱらスニーカー派です。
まあ、そのスニーカーもしばらく履いたら、かかとが減ってしまい、それを履き続けるものだから、歩き癖の悪さを助長しているような気が…。

大人になってもこんな感じなので、時々思い出しては、道路の白線などの上をずれないようにまっすぐ歩く練習をするようにはしています。
効果がどれほどあるかはわかりませんが、日頃思い出すようにすることが大切かなと。
歩き方自体が治らなくても、人にぶつかる回数は減らせてるんじゃないかと思っています。

世の中すべての騒音が愉快な音だったらもっと平和に暮らせるのに

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大きな機械音や無関係な大きなしゃべり声が苦手で、どうも聴覚過敏なようです。
診断前は、「単に騒音だから同じように誰もが気になるものなんじゃないか」と思っていたんですが、どうやら私は他の人よりも「うるさい」と感じやすいみたいです。
特に突発的な自分に関係のない音がだめで、子供の頃は、私が見えないところで誰かが掃除機をかけ始めるたびに気が狂いそうな気持の整理がつかないような気持ちになってました。

なので、一人暮らしをはじめて自分で掃除をしないとならないようになってからも、掃除機の音が苦手でなかなか掃除機に手が伸びずにいました。
それに輪をかけて、掃除全般苦手なので部屋が汚くなるのは当然…。

あまりに使わないので、ある時思い切って掃除機は捨てて、数年間はコロコロとクイックルワイパーのみで床掃除をしてました。
掃除道具を替えて、そんなに困ることはなかったですが、基本的に掃除の仕方が雑なので、肉眼では見えない塵や隅に溜まったホコリを、掃除機でおもいっきり一掃したいという気持ちが徐々に募っていきました。
それで3年程前に久しぶりに掃除機を購入しました。前はホース型の年季の入った掃除機を使っていましたが、新しく購入したのはハンディタイプです。
前のものに比べたら、排気量が少ないのと新しいからか音がだいぶ抑えられてるとは思いましたが、それでもやっぱり音が苦手で、本当にどうしても使わなきゃという時に短時間使うくらいでした。
が、治療を始めてから、ここ1年くらいで騒音が前に比べてかなり気にならなくなってることに気が付きました。そうなると、掃除機をかけるのも気持ち的に大分楽になりました。
いかんせん苦手なことを先延ばしにしやすいところがあるので、今も掃除は後回しにしがちですが、それでも前よりは自分で掃除機をかけるようになっています。

でも今一番愛している掃除機具はクイックルワイパーハンディの枝が伸縮するタイプです。
これだと掃除機が入らない狭い隙間も高いところも掃除できるし、ホコリがごっそりとれるし、めちゃくちゃ軽い、そして何より音がしない、あたりまえだけど。
まあ、だから掃除機は使わないなら使わないで、ほかの掃除方法はあるからどうにでもなるとは思うんですが、やっぱり便利な文明の利器を抵抗なく使えるようになったのはうれしいものです。

あと同じように音が苦手という理由で、ドライヤーも敬遠しがちで、髪に良くないことはわかっていても自然乾燥で済ませがちでした。
おかげで(?)いまだにブローというものが苦手です。どうにもこうにもうまくいきません。
でもこれも同じように音問題を乗り越えられたので、最近は心置きなく乾かせます。しあわせ。


パンツ売ってくれと言われた話

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20代の頃、夕暮れ時の梅田でのことでした。
確かバイト先へ向かう途中だったと思います。
この時の服装が本当に酷くて、色があせまくったTシャツに相当履き古したジーンズ(ところどころ擦り切れてる)にきったないスニーカーと、とても年頃の女性と思えないような恰好でした。
そんな状態で「パンツを売ってくれ」と突然言われたので、その時は驚いたり気持ち悪いと思うより「一体なんで私に声をかけたんだ?」と不思議で仕方がありませんでした。
まさかズボンがそんなことになってるなんて全然思いもしていませんでした。
ちなみに最初に履いた時点ですでにズボンは破けてて、それに気付かず昼間から過ごし、そのまま夕方出かけていたようです。
ズボンに穴が空いてたら、見た目でもわかるし、後ろがすーすーしたり、何かが触れた時の感触の違いでどこかで気づいていいもんじゃないかと思うんですが、全く持って微塵も気づきませんでした。
物の見方が雑だったり、注意力がないから、そういうことが起きるのか…。
今でも服を裏返しにきてたり、ボタンを掛け違えて着てたり、値札をつけっぱなしにしてたり服に関した失敗はよくやります。
出かける前に全身を鏡に映しててもなっかなか気づかないんですよね…不思議。

あれ売ってたら一体いくらになってたんだろ…。

わかってる、先延ばしにした所で良いことなんてひとつもないって、わかってるのに

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なんでもかんでも先延ばしにしがちです。
早くやっちゃえば良いって知ってるんです。でもなんでだろう、そこへ辿り着くというか、そこへの扉を開けられない…体か心ににめちゃくちゃ重いなんかが括り付けられてるんじゃないかってくらい、足取りが重い時が結構多々多々あります。
やらなきゃいけない課題や約束、規則等々、それらはいろんな場面であって、やらずに寝かせといてよかったことなんてまずないんですよ。後で後悔することのほうがほとんどなのに、でもやらない。ポリシーか。いやいや全然そんなつもりはないんです。


目の前に見えて何をしなきゃいけないかわかりきってるのに先延ばしにしてしまう最たるものが、私の場合は洗濯ものです。
まず洗濯機から洗濯干すところからおっくうで、乾いて取り込むのがおっくうで、畳むのがおっくう…一個一個で思考がとまりがちです。
やりたくないという気持ちより、やる前からなぜか体が疲れた感じなって、なっかなか手がつけられません。
実際干しても畳んでも疲れないのに、作業する前の「あー、これやらないと」って思っている状態の時の方が気分的に疲れてます。
そして干し始めたら案外楽しくなって自分の都合よすぎる脳に驚愕します。
ちなみに畳み終わったら、今度は棚にしまうのを先延ばしにしがちです…ようやくしまうときになったら無理やり詰めてしまって、次に取り出す時にはシワシワになってて「着れない!」ってのたうち回ってます。ひとりずもうか。

10年前に書いた4コマ漫画が無自覚のうちにADHDっぽい

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10年前くらいにもブログを書いていた時期がありました。十数回くらい更新して、そのまま止めちゃったんですが。
その時は創作4コマを書いてアップしてました。その中の1本がこれです。
久々に読み返してみたら、ADHDが忘れっぽいってこと書いてるのかしら、みたいな内容でした。
このころは当然まだADHDとは診断されてないですけど、忘れっぽいことに関しては結構悩んでたような…ということは、この忘れん棒は自分のことを描いていたんだと思います。
「悩んでた」ってまるで過去の事のようにいってますが、忘れっぽいことに関しては10代から現在まで常々尽きない悩みです。
何か忘れ物をしちゃう失敗は掘り起こせばキリがないし、良いことや悪いことの記憶もぽろぽろ抜け落ちるもんだから、常に何かを取り残している気がするし、時々自分自身が社会から取り残されてるような気になります。
忘れ物が原因の失敗がかなり続いてた時がありました。そういう時は、自分でももちろん落ち込むし、周りからも怒られたり呆れられたりすることが続いて、気持ちが追い詰められていって余計にどんどん失敗が増えてしまう悪循環をくりかえしてて相当辛かったです。
ああ、これが世にいう「負のスパイラル」ってやつかと、そこから抜け出せたときにようやく気付きました。
追い詰められすぎてる時って、何やってもうまくいかなくなるんですよねえ。

ただ忘れっぽいことが良いことだなあ、と思える部分もあって、そうやって嫌なことがあっても結構すっぱり忘れらます。(そして忘れちゃったもんだから同じ失敗を繰り返したり、時々突然記憶がフラッシュバックして悶絶したりもするんですけど…)

そういう部分のおかげもあって、相当不器用な人間なのにこれまでなんとかやってこれてるように思います。

靴なんて逆に履いても行きたい所にはちゃんと行ける

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小学生くらいまでだったと思うけど、しょっちゅう逆に履いてて、よく親とか先生とかに怒られてました。
怒られたら、履きなおすことができる。その言葉で自分が逆に履いていたことを理解できるから入れ替えればいい。
だけどまた靴を脱いだら、どっちがどっちが分からなくなるのです。私の目の中には、右の靴も左の靴もおんなじ形に見えてるから。
だからみんなが正しい靴の形がわかるのが不思議でしかたなかったし、わからない自分と世界の違いが怖いと、少しだけだけど感じてた気がします。
なぜかあの頃は逆に履いても「きつい」とか「歩きづらい」とか違和感を全く感じませんでした。

でもかかとは踏んづけてよく歩いていた記憶もあるから、多少なりとも違和感があったんじゃないかとも思います。


今では見た目の違いも分かるし、もし真っ暗闇で靴を履いたとして、それがどっちも右側だったとしても、それにちゃんと気づけると思います。
あんなにわからなかったのに、なんで自然とわかるようになったんだろう。


やっぱり靴は正しく履けたほういいです。歩きやすいし、かかとも踏まないから長持ちするし。

「あたりまえじゃん」と言われそうだけど、私にはどうも人の当たり前が理解できていないところが結構あるようで。

靴はなぜかいつのまやら分かるようになったけど、まだわからないまま、気づかないままになってるところも多いと思うのですが、なかなか解決がむずかしい。

まいったなー。 

マンガじゃないんだから

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昔から運動全般が苦手で、今も「好きな運動は?」と聞かれたら「散歩です!」と言うくらいですが、中学の時は親が文化部入部は許してくれなかったので、運動量の少なそうな卓球部を選んで入りました。

…が、予想に反して、気合入りまくりの地方大会もガンガン勝ち進んでいくようなばっりばりのスポ根運動部だったのです…。

部員は同学年だけで20人くらいいて、私はいっつもその中の補欠部員で、たまに他校との試合に出られることがあっても初戦負けがほとんどだったと思います。

そんな中、ある1日だけ奇跡のように突然卓球が上手くなるという事が起りました。
今思うに上手くなったのではなくて、あの時は何かがきっかけで「過集中」(何かに集中しすぎちゃうADHDの症状)の状態になっていて、ボールを目で追う能力が一時的に異常に上がったせじゃないかと考えてます。

あれくらい上手くいったのは、その日だけだったと思います。あとは下手なまんまで嫌でしょうがなかったけど、どうにかこうにか3年続けました。大人になった今現在ろくに運動しない上に不規則な生活を続けていても、基本的には健康的に暮らせてるのは卓球してたからかなと思います。